2014年06月20日
幸せなんだか

自分の歩んできた道に、後悔はないということは、悪いことではない。
ただ、現実的に、目の前にある、自分が劣っている現状を突きつけられると、
後悔がどうこう、自負がどうこうという、理論的な冷静な見方より、感情のほうが勝ってくる。
で、鬱陶しいので、すっぱいブドウをまたもや持ち出す。
自分をマインドコントロールしようとする。
いいの、いいの、わたしは、わたし。わたしは、幸せなんだから、いいじゃないの。
無理やり、そう思うようにする。
だが、相手の弱点をことごとく発見し、なあんだ、どおってことないわね、と、にやり、安心。
一見、良さそうに見えても、一長一短。決して光ばかりではない。あの人の難点は・・・と、分析、推測。
それに、わたしのほうが、(趣味以外は)ずっと幸せなんだから・・・。気にしない、気にしない。
そういう思考。これって、完全に負け犬。
わたしは、やはり、負け犬の遠吠えが、切っても切っても離れない。
同じ土俵で、堂々と相撲が取れない。
負けそうになると、あるいは、負けると、
「あら、相撲なんて、本気でやるスポーツじゃないわよ。あなた、まさかと思うけど、本気だったの?」と逃げる。
真正面から向き合わず、自分の負けを快く思わない。
でも、土俵から降りるつもりがないので、へばりついて、陰で練習したりして努力を続ける。
踏まれても不屈の根性。かっこ悪く、あがく。
あああ、なんか、みっともない。
2014年06月16日
動作をしてみせて

漫才などの笑いの構成は、「ボケ」と「ツッコミ」でできていると言ったりする。
それはよく知られているが、「ツッコミ」の変形に「のりツッコミ」というのがある。
この笑いを説明するのは難しいが、
例を挙げると、
『一人が、ふざけて誰かの首を手で絞めるマネをする。
そうすると首を絞められた方が、いかにも首が絞まったという風に苦しそうな顔をする。』
このように、首を締められた人の動作を「のりツッコミ」という。
相手の動作に「のる」ところから来ているようだ。
関西人の特徴は、このような動作をすることが相手への礼儀と思っているようなところがある。
「よせよ~」ってことは言わない。
いかにも首が絞まって苦しい動作をしてみせて、
そのあと、「何をヤラすねん!」と言って笑って終わる。
「のりツッコミ」は、関西人の特徴とも言える。
「パンの神様」と称されるレイモン・カルヴェル氏の弟子で、日本にフランスパンをもたらした
「ビゴのパン」で知られるフィリップ・ビゴ氏。
彼はウィキペディアのフランスパンの項目にもしっかりと出ている人物。
この人、今やすっかり関西人。
あるとき、雑誌のインタビューで
「ビゴさん。パン一筋でいらっしゃったんですね。だけど、おソバもお好きだそうですが?」
「ボクは、パンよりソバが好きなんですよ、、。 コラッ! パン屋にナニ言わすねん?!」
ってな調子で、「のりツッコミ」で答えたりする。
2014年05月22日
戦いに臨むに

その神社の由縁に深い関わりがあるのが・・・このお方だ。2mもある像。珍しく、陶製の像だ。その陶製の像となって剣を地に突き立てるように立っていらっしゃるのは・・・日本古代史の英雄、日本武尊だ。すると・・・地に突き刺さっている剣は、草薙の剣か・・・。須佐之男命が出雲国で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣で、須佐之男命から天照大神に奉納され、天孫降臨の際にニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡された。ご存知のように・・・三種の神器の一つであり、熱田神宮のご神体である。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。一説には、壇ノ浦で平家が滅亡したさいに海中に沈んだとされるが・・・実際のところはわからない寰宇家庭。
何故・・・この神社に日本武尊の像があるのか・・・?それこそが「矢作」という川の名の由来とも関わる。
景行天皇の御世・・・皇子である日本武尊が天皇の命により、東夷征伐に向かった。その際、この地にやってきた日本武尊は、地元の民から賊の退治を依頼された。その願いを聞き入れる事にした日本武尊は、戦うために矢を作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。その矢を作るための竹は、川の中州にあったが、川の流れは速く、矢作部たちは竹の生えている中州まで行けなかった。そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり竹を切り取ってきた。矢作部たちは、その竹を用いて1万本の矢を作り賊を討ち果たしたと伝えられる。この故事により、矢となった竹が生えていた川は「矢作川」と呼ばれるようになったという。また、戦いに臨むにあたり日本武尊が素戔嗚尊を祀ったこの地が矢作神社の起源と言われる母乳餵哺。
東征に向かった日本武尊が戦ったのは、あるいは大和朝廷に従わない地元の勢力だったのかもしれない。大和朝廷と在野勢力との闘いがこの地で起こり、それが日本武尊の伝説として伝えられたのかもしれない。。。
どうも昨年あたりから日本武尊に縁のある地に足を向けることになることが度々あり・・・ひょっとして日本武尊と縁がある?と、内心思ったりしているものだから・・・この神社にも来てみたってわけだ郵輪假期。
2014年05月22日
海東郡蜂須

矢作川・・・長野県の大川入山を源流とする一級河川。愛知県の中央部を南流して三河湾に注ぐ川。幹川流路延長117km,全流域面積1830km2。
この写真は、岡崎市に架かる矢作橋(国道1号線)からほんの少し上流から岡崎市内を眺望する眺めだ。その矢作橋、古くからの交通の要衝であり、幕府の政策や川の流れの関係で、架橋がみだりにできなかった江戸時代には、日本最長の大橋だった。だだし、当時の橋は、現在より少し下流に架かっていたらしい。
その矢作橋、歴史的にも重要な場所だ nuskin 香港。
秀吉がまだ幼名の日吉丸と名乗っていた頃、奉公先の陶器屋から逃げ出しし、矢作橋の上で寝ていたところ、付近を荒らしていた野武士の一団が通りかかり、その頭が日吉丸の頭を蹴ったところ日吉丸はこれを咎め、侘びていけと言って頭を睨みつけた。頭は、日吉の度胸に買って手下に加えることにした。その頭こそ、海東郡蜂須賀村に住んでいた小六正勝であった。ここから秀吉の武士への道が開け・・・後に、蜂須賀小六は終生、秀吉に仕えていくことになる。実際には、橋が架けられたのが秀吉の死後ということで、橋の上での出会いはなかったかもしれないが、矢作川付近での出会いはあったやもしれない nuskin 香港。
また、矢作橋を渡って岡崎に入ると、すぐにかつては家康の居城であった岡崎城があった。このように、秀吉、家康という歴史上の人物にも関わりの深い川であり、橋なのだ。
その矢作橋からほど近い上流の矢作川堤防のすぐ外側に、矢作神社がある。この神社こそ、矢作川の「矢作」という名で呼ばれるようになった故事が伝えられている nuskin 香港。
決して大きな神社ではないが、拝殿周囲は大きな樹木で覆われており、古い神社であることが感じられる。現在から約1700年前、315年頃の景行天皇の時代にその由縁は遡る nuskin 香港。。。
2014年04月16日
た木蓮の木に

何か写真が撮れるかもしれないと、犬の散歩に出るときに、デジカメを左のポケットに入れた。空は真っ青で雲ひとつない。下校途中の、黄色いカバーのついたランドセルを背負った小学生が3人、前の方を歩いている。撮りたいけど、勝手に人の背中を撮るわけにもいかないYumei好用。
線路に沿って歩きながら、そこで、よさそうなカメラを抱えた少年たちが20人近くも並んで電車を待っていたことがあったのを思い出した。何が来るんだろうと気になりながらも立ち止まっているわけにもいかず、早くその「何か」が来ればいいのにと思いながらのろのろ歩いたのはいつだっただろうcorporate apartment。
小さな児童公園にさしかかると、まだ固いけれどつぼみのついた木蓮の木に、枯れた枝が絡まっているのが目に入った。小さな、元は赤い実だったであろう植物の蔦だった。どこかで見た構図になりそうだけど、同じように写真を撮ってみたいなと、そう思ったのも束の間、犬の歩くまま通り過ぎてしまう。やはり片手にリードを持ちながらの写真は無理みたいだ。
帰ってからそのままベランダに出て、久しぶりに撮った写真がこのクローバー。
ついでにバラの剪定をした辦公室文具。
2014年03月19日
ぱり年齢から来る

夕暮れ。正に日が沈む所。
この三連休は普段あまり手をつけない部屋の大掃除をしようと密かに計画していたのだけど、 どうも先週辺りから右腕のだるさが抜けず、そのうえ、昨日は膝を怪我してしまったので「やる気」だけが空回りしている。
とりあえず計画だけはと、クローゼットの中でぐるりと上を見回したらホットカーペットの大きな箱が目についた。今まで忘れていたけれどたぶんあの箱は空だ。仕舞う時のために取っておいたけれどしまうべきカーペットがすでにない。スペースの無駄だ。
こんな時、ちょっと前までのわたしならさっさと椅子を持ってきて箱を下ろして畳んで捨てる準備がちゃっちゃとできたのだけど、今はそれができない。カーテンも洗いたいけど大きすぎて今は手が出せない。などなどなど。手伝ってもらえばいいとはいえ、指示だけしているなんて性格的にできず、うっかり右腕を上げると方向によっては大変な痛みが走るのが分かっているから怖いのだ。
肩は痛くないし、真上に手を上げることはできるけれど……これはやっぱり年齢から来る、ナントカ肩というやつなのかなあ。そろそろ真面目に病院に行くべきと思い始めた。
そんなわけで、だるい肘や腕を湿布でごまかしつつ、早く片付けたいなあと今後の計画だけ頭の中で練っている。
案外ふつうに元気でどこも痛くなかったら、そんなこと考えないのかもしれない。
2013年12月21日
疑問符

私の虚像を映す真夜中のスクリーンに
斬りつけて 穴を開けて 破り捨てている otterbox reflex
私には見ることのできない私の存在を
誰かに見てもらって どんな姿か教えてもらうために
空虚でも醜くても汚れていても幼くても
私が永遠に自分の眼で見つめることができない
私自身の姿を
私に 教えて Touch Monitor
泣いているのか笑っているのか
もう何もわからない
叫んでいるのか眠っているのか
私はどこにいるのか flower shop flowers
私にはわからない
2013年12月21日
ピリオドを心の中でピシリと打つ

おくりびとって映画ありましたね。
納棺師というお仕事の映画でしたinvision group 洗腦。
亡くなったひとを黄泉の世界に
身なりをきれいにととのえてあげて
旅立たせてあげる。
いろいろな人生の終い方があります。
2013年もたくさんの方、有名なかたもふくめて
終われました結構性產品。
はなやかな栄華をほこった方でも
かわいそうな亡くなり方をした人もいます。
おおくの身内にまもられて
しっかりキレイに旅立たせてもらえることって
ある種、究極の愛じゃないかと思ったのです。
悲しみや悲惨も
しっかりと手のひらに握りながら、
送る人。
送る人は、それをしてあげることで
悲しみと自責の念も旅立たせるのだろう搬屋服務。
そうしたピリオドを心の中でピシリと打つ儀式って
すごく人間的なことだと思ったのです。