2014年05月22日
海東郡蜂須
矢作川・・・長野県の大川入山を源流とする一級河川。愛知県の中央部を南流して三河湾に注ぐ川。幹川流路延長117km,全流域面積1830km2。
この写真は、岡崎市に架かる矢作橋(国道1号線)からほんの少し上流から岡崎市内を眺望する眺めだ。その矢作橋、古くからの交通の要衝であり、幕府の政策や川の流れの関係で、架橋がみだりにできなかった江戸時代には、日本最長の大橋だった。だだし、当時の橋は、現在より少し下流に架かっていたらしい。
その矢作橋、歴史的にも重要な場所だ nuskin 香港。
秀吉がまだ幼名の日吉丸と名乗っていた頃、奉公先の陶器屋から逃げ出しし、矢作橋の上で寝ていたところ、付近を荒らしていた野武士の一団が通りかかり、その頭が日吉丸の頭を蹴ったところ日吉丸はこれを咎め、侘びていけと言って頭を睨みつけた。頭は、日吉の度胸に買って手下に加えることにした。その頭こそ、海東郡蜂須賀村に住んでいた小六正勝であった。ここから秀吉の武士への道が開け・・・後に、蜂須賀小六は終生、秀吉に仕えていくことになる。実際には、橋が架けられたのが秀吉の死後ということで、橋の上での出会いはなかったかもしれないが、矢作川付近での出会いはあったやもしれない nuskin 香港。
また、矢作橋を渡って岡崎に入ると、すぐにかつては家康の居城であった岡崎城があった。このように、秀吉、家康という歴史上の人物にも関わりの深い川であり、橋なのだ。
その矢作橋からほど近い上流の矢作川堤防のすぐ外側に、矢作神社がある。この神社こそ、矢作川の「矢作」という名で呼ばれるようになった故事が伝えられている nuskin 香港。
決して大きな神社ではないが、拝殿周囲は大きな樹木で覆われており、古い神社であることが感じられる。現在から約1700年前、315年頃の景行天皇の時代にその由縁は遡る nuskin 香港。。。
Posted by のぬね at 16:36│Comments(0)
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