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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2014年08月06日

感動するでしょう


御師がまずターゲットにしたのは大名達でした。まず御師達は大名を説得して信者にし、檀家にさせてしまいます。すると『ここの殿様はうちの檀家様ですよ~♪』とそこの領民を説得することが容易くなるわけです升中選校
それだけでも当時としてはさすがと思うのですが、伊勢の御師はこれだけでは終わらないww
大名が檀家となった事で、領地内で活動しやすくなった後、伊勢神宮に祀られている『天照皇大神宮』や『豊受大神宮』などと刷られた御祓札を村々に配り始めるというサービスを始めております长江钢琴不合格
で、配られたものとはいえさすがに信心深い当時の人々。由緒正しい御札をタダで、というわけには行かないと初穂(奉納)を出しました。すると今度はその返礼にと伊勢の御師はお土産を置いていったというのです(@_@;)そりゃあお土産を置いていってもらった人は感動するでしょう。この過剰ともいえるサービスにころりと参った人々は、たちまち伊勢神宮の虜になっていったというのです威廉斯坦伯格钢琴

ただ、この『御祓札』には少々からくりがあったようでして・・・本来御札は神社が出すものなのですが、御師達が配り歩いていた『御祓札』は伊勢神宮とは全く関係なく、御師が独自に、というか勝手に配布していたものらしいのです威廉斯坦伯格钢琴
つまり、本来は初穂を貰う→お土産を残していく、という図式なのに、最初に御祓札→さすがにタダじゃ悪いので初穂→いかにも特別ですよ~とばかりにお土産、という図式を作り上げていったみたいですね。
しかも御祓札は手書きではなく印刷物・・・びみょ~に詐欺の匂いを感じなくもないのですが、初穂を払ってくれた人に損はさせていませんし、印刷物とはいえ御札も渡しているのでいいのかな


  


Posted by のぬね at 16:30Comments(0)derirtoki

2014年07月14日

特定の麺類などを


B級グルメや特定の麺類などをデジカメでパシャパシャやって 何とかログ でこそこそと
「コクが深みがどーのこーの 歯ごたえ食感どーのこーの もっちりシコシコどーのこーの どっしりあっさりどーのこーの 甘味旨味がどーのこーの バランス臭みがどーのこーの 家系二郎系がどーのこーの・・・」
をされている皆さま、あなた様がなさっておられることがヒーロー的行動とお思いなら御自慢の 鋭い味覚 と 正確な分析力 と 溢れる知識力 を 豊富な表現力 で料理人本人に面と向かって正々堂々とぶつけてみられてはいかがですか。そしてあなた様お得意の数 を料理人本人に堂々と言ってみられたら本当の ヒーロー になれること間違いなしですよ。

僕、このようなグルメサイトを見ると 学校裏サイト という言葉を連想しちゃうんですよね。
こんな主観の塊を堂々とメディアにさらすその姑息さと勇気と厚かましさに感動さえ覚えちゃうんです。

まあ僕のこのブログにしてもメディアを発信するなんてのは個人の独善的な主義主張以外のなにものでもないのは承知しております。
ですが個人の独善的な主義主張にしても他人の行動や他人の創造物を主観で評価して 評価できるオレは凄い奴なんだよ! を曝している奴らは自分では何もしないくせにケチをつけることによって優越感に浸ろうとする怠け者だと僕は思うんです。能力も実力も無けりゃ友達もいない、こんなところに食べに行った程度の行動力を努力だと勘違いしている残念な怠け者としか僕には見えないのです。根本的に恥という概念を知らない奴らだからこそできる芸当なのでしょう。

今回は 物事を主観で評価する人 を 僕の主観で評価 させていただきました。
目には目を
でございます。
全く問題ありません。  


Posted by のぬね at 18:26Comments(0)derirtoki

2014年07月14日

釣りばかりして


川のそばに五軒ほどの集落があった。あちこちで清水が湧き出していた。家と家の間に細い水路があり、流れはそのまま川に注いでいた。幾筋もの水路の間に、家が点在しているようでもあった。
従兄弟の家があった。T先生の家と、同じクラスのK子の家があった。国語の時間、K子はまっ先に手を上げる。K子の答えは、字引の文章をそのまま読み上げているような、簡潔で聞きなれない言葉だったので、ぼくにはよく理解できなかった。

大きな岩の上で、従兄弟とふたり黙って釣りをする。従兄弟は釣り以外に興味がなかったので、ぼくらの会話はあまり進まなかった。
ぼんやり釣りをしながら、ぼくはひとり空想にふける。まわりに漂う甘い香りを、K子の気配のように感じながら、彼女のことをあれこれ考えていた。
彼女はあまり家から出てこなかった。釣りばかりしているぼくのことなど、軽蔑しているにちがいないと思った。思えば思うほど、しだいに彼女と口が利けなくなり、疎遠になった。

高校生になったとき、集落の近くにダムができた。
五軒ほどの家はすべて移転させられ、集落は川の底に沈んだ。
沈丁花という花のことを知ったのは、それからずっと後年のことだった。ぼくが川の匂いだと思い込んでいたものは、沈丁花の匂いだったのだ。
その花は、たぶんK子の家の庭に咲いていたのだろう。そして、あの春の匂いも、集落とともに水の底に沈んでしまったのにちがいなかった。  


Posted by のぬね at 18:22Comments(0)ximeiri

2014年06月24日

力こぶを競ったり


一日にいくども、ぼくもえんぴつを手にする。
だが何も書けない。
えんぴつは4Bか5Bの、芯が太くて軟らかいものを使っている。書くということに抵抗がなく、紙の上に素直にイメージを滑らせていける、その軟らかさを好んでいる。
だが今は、どんな軟らかいえんぴつも駄目だ。
かといって、便利な補助具のキーボードを叩いても、萎れた想念のドアをノックすることは難しい。


筆箱の中の、えんぴつの数を競い合ったことがあった。
ちびたえんぴつのような、ちんぽの長さを競った頃のことだ。
テストの×(バツ)の数を競ったり、指の切り傷を競ったり、力こぶを競ったり、背丈や体重を競ったり、ヒマワリの種をポケットいっぱいにして競ったり、いろんなものを競い合っていた。
サイコロのようにえんぴつを転がして、競うことはすべて遊びだった。
小さな勝利の先には、まだ見たことのない小さな夢があった。  


Posted by のぬね at 16:30Comments(0)ximeiri

2014年06月20日

幸せなんだか


自分の歩んできた道に、後悔はないということは、悪いことではない。
ただ、現実的に、目の前にある、自分が劣っている現状を突きつけられると、
後悔がどうこう、自負がどうこうという、理論的な冷静な見方より、感情のほうが勝ってくる。

で、鬱陶しいので、すっぱいブドウをまたもや持ち出す。
自分をマインドコントロールしようとする。

いいの、いいの、わたしは、わたし。わたしは、幸せなんだから、いいじゃないの。
無理やり、そう思うようにする。
だが、相手の弱点をことごとく発見し、なあんだ、どおってことないわね、と、にやり、安心。
一見、良さそうに見えても、一長一短。決して光ばかりではない。あの人の難点は・・・と、分析、推測。
それに、わたしのほうが、(趣味以外は)ずっと幸せなんだから・・・。気にしない、気にしない。

そういう思考。これって、完全に負け犬。

わたしは、やはり、負け犬の遠吠えが、切っても切っても離れない。
同じ土俵で、堂々と相撲が取れない。
負けそうになると、あるいは、負けると、
「あら、相撲なんて、本気でやるスポーツじゃないわよ。あなた、まさかと思うけど、本気だったの?」と逃げる。
真正面から向き合わず、自分の負けを快く思わない。
でも、土俵から降りるつもりがないので、へばりついて、陰で練習したりして努力を続ける。
踏まれても不屈の根性。かっこ悪く、あがく。
あああ、なんか、みっともない。
  


Posted by のぬね at 16:30Comments(0)ふのはひ

2014年06月20日

わたしのほうが


あれれ、あれれ。
なんだい、わたしは、これこれこんなことをしていたせいで、そんな優雅な時間が取れなかった、
という、堂々たる大義名分みたいな申し開きができない。

あんまり頑張ってなかったのか・・・。
でも、これは趣味の分野。
よおく考えると、先述のKさんのように、趣味にまで手が届かず、
その場その場の課題を一生懸命乗り越えることで精一杯だった。
ひとつずつの課題は繋がっていないために、趣味を始める年齢が遅れた。
スタートが大きく違う人と、いくら頑張って競っても、無理。

自分は自分なりの、人生のステージの課題をこなしてきたのだから、まあいいか。
今だって、趣味を続ける障害はたくさんあるが、工夫して時間を確保しようと努力している。
趣味分野の人と、人生の課題ごとの結果、成果を比べて、わたしのほうが上だ、などとは、さすがに言えないし、
この人生の課題は、人それぞれ、状況が違うので、安易に比べられるものではない。
ただ、一生懸命やってきた、という自負だけはある。
趣味にまでは余裕がなかったが、課題はこなしてきたように思う。
趣味分野で遅れは取っても、代わりに得たものは、代替しようがないものであり、悔いはない。

ということで、すっぱいブドウ思考は、Kさんと同じではないか。
  


Posted by のぬね at 16:29Comments(0)ximeiri

2014年06月16日

動作をしてみせて


漫才などの笑いの構成は、「ボケ」と「ツッコミ」でできていると言ったりする。
それはよく知られているが、「ツッコミ」の変形に「のりツッコミ」というのがある。
この笑いを説明するのは難しいが、
例を挙げると、
『一人が、ふざけて誰かの首を手で絞めるマネをする。
そうすると首を絞められた方が、いかにも首が絞まったという風に苦しそうな顔をする。』
このように、首を締められた人の動作を「のりツッコミ」という。
相手の動作に「のる」ところから来ているようだ。
関西人の特徴は、このような動作をすることが相手への礼儀と思っているようなところがある。
「よせよ~」ってことは言わない。
いかにも首が絞まって苦しい動作をしてみせて、
そのあと、「何をヤラすねん!」と言って笑って終わる。
「のりツッコミ」は、関西人の特徴とも言える。

「パンの神様」と称されるレイモン・カルヴェル氏の弟子で、日本にフランスパンをもたらした
「ビゴのパン」で知られるフィリップ・ビゴ氏。
彼はウィキペディアのフランスパンの項目にもしっかりと出ている人物。
この人、今やすっかり関西人。
あるとき、雑誌のインタビューで
「ビゴさん。パン一筋でいらっしゃったんですね。だけど、おソバもお好きだそうですが?」
「ボクは、パンよりソバが好きなんですよ、、。 コラッ! パン屋にナニ言わすねん?!」
ってな調子で、「のりツッコミ」で答えたりする。
  


Posted by のぬね at 16:17Comments(0)ふのはひ

2014年06月16日

お釈迦様は


それは
まだ明けきらない早朝のことでした
16年も前のことです
とてつもない大きな怪物が
私の家を壊しにきたと思いました
窓や戸や何かがガタガタと鳴り
床が跳び上がるようでした卜維廉中學
大きな音を立ててタンスや本棚が倒れ
食器がつぎつぎに落下して割れています
これはもう
この世のことではない
あるいは悪夢だ
まさしく短くて長い悪夢でした

しずかに夜が明けました
チチッと小鳥の声がきこえました
落下物の山の中から美容療程飼っていたインコが這い出してきたのです
小さな黄色い命が輝いてみえました
おお生き残った同士よと
抱きしめたい思いで掌にのせました

お釈迦様は言いました
「この世は美しい、人の命は甘美なものだ」と
どんなに大地が荒れ果てようとも
真に美しいのは人の心であり
命ではないでしょうか馬爾代夫自由行
どうか生きててください
生きてください!

  


Posted by のぬね at 16:13Comments(0)ximeiri

2014年05月22日

戦いに臨むに


その神社の由縁に深い関わりがあるのが・・・このお方だ。2mもある像。珍しく、陶製の像だ。その陶製の像となって剣を地に突き立てるように立っていらっしゃるのは・・・日本古代史の英雄、日本武尊だ。すると・・・地に突き刺さっている剣は、草薙の剣か・・・。須佐之男命が出雲国で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣で、須佐之男命から天照大神に奉納され、天孫降臨の際にニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡された。ご存知のように・・・三種の神器の一つであり、熱田神宮のご神体である。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。一説には、壇ノ浦で平家が滅亡したさいに海中に沈んだとされるが・・・実際のところはわからない寰宇家庭

何故・・・この神社に日本武尊の像があるのか・・・?それこそが「矢作」という川の名の由来とも関わる。

景行天皇の御世・・・皇子である日本武尊が天皇の命により、東夷征伐に向かった。その際、この地にやってきた日本武尊は、地元の民から賊の退治を依頼された。その願いを聞き入れる事にした日本武尊は、戦うために矢を作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。その矢を作るための竹は、川の中州にあったが、川の流れは速く、矢作部たちは竹の生えている中州まで行けなかった。そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり竹を切り取ってきた。矢作部たちは、その竹を用いて1万本の矢を作り賊を討ち果たしたと伝えられる。この故事により、矢となった竹が生えていた川は「矢作川」と呼ばれるようになったという。また、戦いに臨むにあたり日本武尊が素戔嗚尊を祀ったこの地が矢作神社の起源と言われる母乳餵哺


東征に向かった日本武尊が戦ったのは、あるいは大和朝廷に従わない地元の勢力だったのかもしれない。大和朝廷と在野勢力との闘いがこの地で起こり、それが日本武尊の伝説として伝えられたのかもしれない。。。

どうも昨年あたりから日本武尊に縁のある地に足を向けることになることが度々あり・・・ひょっとして日本武尊と縁がある?と、内心思ったりしているものだから・・・この神社にも来てみたってわけだ郵輪假期

  


Posted by のぬね at 16:37Comments(0)ふのはひ

2014年05月22日

海東郡蜂須


矢作川・・・長野県の大川入山を源流とする一級河川。愛知県の中央部を南流して三河湾に注ぐ川。幹川流路延長117km,全流域面積1830km2。
この写真は、岡崎市に架かる矢作橋(国道1号線)からほんの少し上流から岡崎市内を眺望する眺めだ。その矢作橋、古くからの交通の要衝であり、幕府の政策や川の流れの関係で、架橋がみだりにできなかった江戸時代には、日本最長の大橋だった。だだし、当時の橋は、現在より少し下流に架かっていたらしい。
その矢作橋、歴史的にも重要な場所だ nuskin 香港
秀吉がまだ幼名の日吉丸と名乗っていた頃、奉公先の陶器屋から逃げ出しし、矢作橋の上で寝ていたところ、付近を荒らしていた野武士の一団が通りかかり、その頭が日吉丸の頭を蹴ったところ日吉丸はこれを咎め、侘びていけと言って頭を睨みつけた。頭は、日吉の度胸に買って手下に加えることにした。その頭こそ、海東郡蜂須賀村に住んでいた小六正勝であった。ここから秀吉の武士への道が開け・・・後に、蜂須賀小六は終生、秀吉に仕えていくことになる。実際には、橋が架けられたのが秀吉の死後ということで、橋の上での出会いはなかったかもしれないが、矢作川付近での出会いはあったやもしれない nuskin 香港
また、矢作橋を渡って岡崎に入ると、すぐにかつては家康の居城であった岡崎城があった。このように、秀吉、家康という歴史上の人物にも関わりの深い川であり、橋なのだ。

その矢作橋からほど近い上流の矢作川堤防のすぐ外側に、矢作神社がある。この神社こそ、矢作川の「矢作」という名で呼ばれるようになった故事が伝えられている nuskin 香港

決して大きな神社ではないが、拝殿周囲は大きな樹木で覆われており、古い神社であることが感じられる。現在から約1700年前、315年頃の景行天皇の時代にその由縁は遡る nuskin 香港。。。





  


Posted by のぬね at 16:36Comments(0)ふのはひ